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直径:39.5mm 量目:28.07g、銀品位:833/1000
マリア・テレジアは 1740-1780年にかかて神聖ローマ帝国皇帝であり、オーストリアの強国化に努めた女帝として歴史にその名を残しています。また、大変美しいご婦人だったことから「ドイツ婦人の典型」とも言われていたようです。フランス国王ルイ16世の妃であり最後には王と共に処刑されるマリー・アントワネットはマリア・テレジアの娘です。
マリア・テレジアはハプスブルク家の出身であり、当家が支配した神聖ローマ帝国の最盛期には、現在のオーストリア、ハンガリー、ボヘミア、チェコにルーマニアの大部分、その他にもポーランド、イタリア、ルクセンブルグの数地域、ベルギー、スペインの殆どを領土とした大帝国でありました。
マリア・テレジアのターレル貨には数種類ありますが、ここで取り上げていますのは1780年銘の現在でも安価でお求め頂ける再鋳貨についてです。
コインを見ると表面の銘文は、M.THERESIA D.G. R. IMP. HU. BO REG.となりこれを英文に訳すと Maria Theresa, by the grace of God, Roman epmress, of Hungary and Bohemian queen.(神の恩寵による、ローマ皇帝であり、ハンガリーとボヘミナの女王であるマリアテレジア)
裏面には、ARCHID. AUST. DUX. BURG, CO TYR. 1780 とあり、これを英文にするとArchduchess of Austria, Duchess of Burgundy, Countess of Tyrol.(オーストリア大公妃、ブルゴーニュ公爵夫人、チロル伯爵夫人)
このコインの殆どは、オーストリアミントで製造されていますが、主に中近東貿易で使用され、その中でも紅海の湾岸地域が中心だったようです。では、何故このコインが優れていたのでしょう? それはこのコインの銀品位が一貫して833/1000と安定していたこと、またコインの端を削り取られることを防ぐ為に縁にある文字が陰刻ではなく陽刻で外にでている、ことがその理由のようです。これだと切り取るとすぐにバレてしまいますからね。
1780年に彼女が死亡した時、このコインの製造も終わりとなる筈でしたが、1781年にアラビア銀行がこのコインを注文しました。マリア・テレジアの後継者となったジョセフ 2世はいくつかのターレル貨に登場しますが、銀行家たちは、マリア・テレジアコインだけが、中東では受け入れられると主張したとのことです。
1858年にはオーストリア政府は法定通貨としての役目を終了させましたが、貿易価値は継続され、1857年のオーストリア特許の下に数多くが鋳造されました。
1924年までは多くのアラブ国家が鋳造しました、また、1935年まではアフリカの一部の国でも鋳造されました。スーダン、イエーメン、アルジェリアでは20世紀初期まで実質通貨として受け入れられていました。エチオピアでは法定通貨でもありました。
また、第2次大戦中の1935年にイタリアがエチオピアを侵略した後、ヒトラーは、ムッソリーニにイタリアでの鋳造権を与えました。ローマを中心に年間10,000枚が1938年まで造られました。
大戦後はターレル貨の需要は衰えてきます。1961年にはオーストリア政府は他国での製造を禁止するとしました。しかし、現在でもオーストリアでは未使用貨とプルーフ貨をコレクター向けに製造しています。
マリアテレサはかっての中東貿易での役割はもうありませんが、世界で最も古くから継続して造られているコインという輝かしい称号を得ています。
第2次大戦中に、米国の諜報機関(OSS) はこのコインを大量に製造してインドネシアの反日工作に使用したとの事です。 -あいこいんずニュースより-
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